SHINYEI History #23 企業再建に向けて

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SHINYEI History #23 企業再建に向けて

石油危機(オイルショック)においても、貿易部門については業績好調でした。

落花生を中心とする農水産物や生糸関連品の中国からの輸入と、電気製品・金属製品を中心とする対米輸出などが、不況にあえぐ神栄の経営を支え、再建に大きく寄与しました。

中国からの輸入量が増加し、取扱商材も拡がってきたことを受け、1979年(昭和54年)12月には北京駐在員事務所を開設しました。

一方、1959年(昭和34年)2月に設立した米国現地法人Shinyei Company, Inc.については、合弁事業の失敗により大きな損失を被り、事業継続が困難な状況に陥ったため、1979年(昭和54年)5月、ニューヨークに現地法人Shinyei Corp. of Americaを設立し、米国における取引は同社で行うこととして、Shinyei Company, Inc.は解散・清算しました。

 

この時期、神栄はかつて経験したことのない逆境に遭遇し、業績は低迷しましたが、企業再建には全従業員の協力が不可欠であるため、労働条件の一層の改善に取組みました。

週休2日制を導入する企業が増加する中、1973年(昭和48年)7月からの隔週週休2日制を経て、1976年(昭和51年)7月から完全週休2日制の実施に踏み切りました。

また、政府が「1985年(昭和60年)に60歳定年」の目標を掲げ、定年延長への社会的要請が高まる中、1980年(昭和55年)11月からという早い時期に60歳定年制を導入しました。

経営が非常に厳しい中にあっての、時代を先取りした決断でした。

 

Shinyei Company, Inc.が入居していたマディソン街260番ビル

 

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