SHINYEI History #14 焦土からの再生

SHINYEI History

SHINYEI History #14 焦土からの再生

戦局が悪化し日本軍の敗色が濃くなる中、米軍機による日本各都市への空襲が相次ぎ、神栄の本社がある神戸市も、1945年(昭和20年)3月17日に1回目の大空襲に見舞われて市の中心部は大きな被害を受けました。
このため、神栄は今後の空襲に備え、同年4月末に本社を綾部工場へと疎開させました。
神戸市は同年6月5日にも大規模な空襲で壊滅的な被害を受けましたが、疎開により従業員とその家族の生命や財産を戦災から守ることができ、人員を確保できたことで戦後の速やかな事業再開も可能となりました。
また、生産工場はほとんどが都市から離れた郡部に所在していたため、幸いにも戦災で全焼となった神栄所有の建物は全体の9%にとどまり、死傷者は皆無でした。

終戦後の1946年(昭和21年)2月より順次、接収されていた製糸工場が返還されると、工場設備を整備して製糸事業を復元していきました。
1948年(昭和23年)6月に生糸問屋制度が復活すると、神栄も問屋業を再開しました。
また、民間貿易が段階的に再開となり、全面的に再開される1950年(昭和25年)1月に先立ち、1949年(昭和24年)から貿易業務体制の確立を進め、戦後の躍進の礎を固めました。
なお、当時の為替は固定相場制で、1949年(昭和24年)4月25日に1ドル=360円と定められて以降、1971年(昭和46年)12月19日に1ドル=308円となるまでこの相場が続きました。

 

戦後神戸に復帰した1947年当時の本社社屋

 

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