SHINYEI History #11 生糸問屋廃業と戦後への布石

SHINYEI History

SHINYEI History #11 生糸問屋廃業と戦後への布石

戦時統制により生糸取引においても制約が厳しくなる中、1943年(昭和18年)1月に神戸生糸市場は閉鎖となっており、製紙工場の接収も進められた結果、神栄の主軸事業であった生糸関連事業は事実上消滅するに至りました。
これを受けて、1943年(昭和18年)5月に商号を「神榮生絲株式会社」から「神栄實業株式会社」に変更し、1944年(昭和19年)6月には、創立以来60年近く保持してきた営業権を譲渡して、生糸問屋業を廃業することとなりました。
また、米国生糸市場において確固たる地位を築いていた現地法人Shinyei Corporationについては、1941年(昭和16年)7月に米国が在米日本資産凍結令を発動したことにより、同年8月に閉鎖せざるを得ませんでした。

このような状況下、戦局が大きく転換し始めた1943年(昭和18年)1月、神栄は時局の推移を洞察し、戦後経済においていかなる事業が有利であるかを検討した結果として、「戦後ノ神栄会社ノ方針」を策定しました。
この経営方針に即して多岐にわたる新規事業を展開していき、中には国策により転換を余儀なくされたものもありますが、多くの事業が戦後へと引き継がれ、多角経営としての神栄の発展に少なからず寄与することとなりました。

「戦後ノ神栄会社ノ方針」(抜粋)

 

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