SHINYEI History #5 悲願叶う
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災は、日本の中枢部である首都東京とその周辺に壊滅的な被害をもたらしました。
横浜市も90%が焼失したとされ、神栄でも、横浜支店の社屋・倉庫が焼失し、商品である生糸も多くを失うなど、甚大な損害を被りました。
一方、神戸では、大震災により横浜生糸市場が壊滅との報を受け、横浜港に代わって神戸港から生糸の輸出を行おうと、神戸生糸検査所の設置に向けて動き出しました。
あくまでも生糸市場の独占を固守しようとする横浜側との激しい対立を経て、1924年(大正13年)1月に「神戸市立生糸検査所」が開所となり、大震災という予期せぬ災厄が契機となりましたが、神戸に生糸市場を開設するという神栄設立の目的をようやく果たすに至りました。
神戸生糸市場の開設に伴い、神栄の事業は順調に拡大し、1925年(大正14年)度には、生糸取扱量が全国第1位となりました。
また、営業の主体を明示するため、同年5月に商号を「神榮生絲株式会社」に変更しました。
第一次世界大戦や関東大震災という大変事に遭遇しつつも、生糸の対米輸出が活況であったこともあり、大正年間に神栄の業績は躍進を遂げたのです。
神栄の生糸取扱量 |
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