SHINYEI History #26 バブル景気の頃
創立100周年と前後して、日本はバブル景気を迎え、やがてバブル崩壊へと向かいます。
そのきっかけとされるのが、1985年(昭和60年)9月の「プラザ合意」です。
米国ニューヨークのプラザホテルにおいて先進5か国の蔵相と中央銀行総裁による会議が行われ、ドル高を是正するために各国が協調して為替市場に介入することに合意しました。
この合意により、翌日の円ドル相場は1ドル=235円前後から20円も円高となり、1年後には150円台まで円高が進みました。
この頃の神栄については、まず決算日を3月末に変更し、1988年(昭和63年)4月から始まる第121期より、現在と同じ、4月から翌年3月までの1年間を1事業年度としました。
それまでの事業年度は、設立当初の変則的な時期を経て、5月から翌年4月までの1年間、5月から10月までと11月から翌年4月までの半年間、11月から翌年10月までの1年間という変遷をたどり、今回の変更の直前となる第120期は、1987年(昭和62年)11月から翌年3月までの5か月間という変則決算となりました。
また、経営を取り巻く環境が激変し、情報化社会への移行がハイスピードで進む中、効率的な経営管理システムが必要となったことから、「事務の合理化・機械化」の方針の下、1986年(昭和61年)10月に全社OA化基本構想を確立し、1989年(平成元年)4月より、待望となる「全社OAシステム」を稼働しました。
円ドル相場(月末レート)の推移 |
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